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   <title>日本の庭園～秦造園～　| 東京都の造園～庭づくり、庭のリフォーム、庭のお手入れ～</title>
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   <subtitle>日本の庭園では、町で見かけた素敵な庭や、日本文化に根付いた庭を紹介しています。</subtitle>
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   <title>三波石峡～造園材料　日本庭園の石材産地を訪ねて</title>
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   <published>2008-04-07T13:28:49Z</published>
   <updated>2008-04-07T16:32:54Z</updated>
   
   <summary>　日本庭園の造園材料として昔からよく用いられてきたのが青石です。現在でも、景石や...</summary>
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      <![CDATA[　日本庭園の造園材料として昔からよく用いられてきたのが青石です。現在でも、景石や橋石、石垣、敷石などに用いられています。その産地として有名な群馬県藤岡市鬼石を訪れました。この地域で産出される青石を三波石とよんでいます。他の青石産地として有名なのは、四国の徳島県と愛媛県で、それぞれ阿波青石、伊予青石とよばれています。
<img alt="%E7%9F%B3%E7%BE%A4%E9%A6%AC%20103.jpg" src="http://www.hada.blogdns.com/teien/%E7%9F%B3%E7%BE%A4%E9%A6%AC%20103.jpg" width="500" height="375" />
　ダムの建設によって、過去の景観とは異なるようですが、巨石と断崖絶壁の迫力に圧倒されました。
10トン20トンを超える巨石がゴロゴロとしています。
　
　一緒に連れて行った我が子も、初めて見る景色と迫力にはしゃいでいました。
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　さわやかな青緑色に白い筋状の模様が入るのが三波石の特徴です。派手さがあるので、庭石としては好きな方と嫌いな方がかなりはっきり分かれます。　
<img alt="%E5%B7%A8%E7%9F%B3%E7%BE%A4%E9%A6%AC%20099.jpg" src="http://www.hada.blogdns.com/teien/%E5%B7%A8%E7%9F%B3%E7%BE%A4%E9%A6%AC%20099.jpg" width="500" height="375" />
　近年では、都心部の住環境や安らぎといった視点から、樹木を中心に庭を造る機会が増えてきましたが、石の魅力にも目を向けていきたいと思っています。
　
以下、ウェキペデイアを参照

三波石峡（さんばせききょう）は、神流川上流に位置し、群馬県から埼玉県に跨る景勝地。行政上では埼玉県児玉郡神川町、群馬県藤岡市（旧・多野郡鬼石町）に属する。

江戸時代から景勝地として知られ、旅人相手の案内を生業にしていた村人もいたといわれる。また、緑色の結晶片岩は石英が緑色の紋様を示し、非常に高価な庭石としても重宝されていた（三波石）。

一帯は断崖絶壁が連続し、その間に結晶片岩の奇岩、巨岩が露出する。また、地質学上でも非常に貴重な場所であり、小藤文次郎がこの三波川一帯で発見した結晶片岩を三波川結晶片岩と命名、これは後に三波川変成帯の名の元になっている。このようなことから、非常に貴重な自然と地質学上の貴重さから、1957年（昭和32年）には国指定の名勝、そして天然記念物の指定を受けている。

しかし、その後神流川上流の下久保ダム（現在は神流湖とも呼ぶ）の川の水は堰き止められ、峡谷を流れる川の水が涸渇してしまった。風光明媚な景勝地は石には苔が生えて黒ずみ、川底にはアシなど雑草が繁茂し荒れ放題になるなど、見るも無惨な姿と変わってしまう。そのため、下久保ダムから配管工事を施し、川の水が河川に流れ出るようにした。大がかりな工事は2001年（平成13年）に完成、河川には清流が戻り、風流な景勝地は過去の姿に戻りつつある。

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   <title>小石川植物園の春(東京都文京区）</title>
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   <published>2008-03-21T15:09:22Z</published>
   <updated>2008-03-22T10:23:48Z</updated>
   
   <summary>たくましい自然樹形のクロマツと今にも咲き始めそうなサクラ 松のかっこよさに足を止...</summary>
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      <![CDATA[<strong>たくましい自然樹形のクロマツと今にも咲き始めそうなサクラ</strong>
松のかっこよさに足を止めて見入ってしまいました。<img alt="s%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%84DSCN3211.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%84DSCN3211.JPG" width="500" height="375" />

　私の住まいは、小石川植物園から徒歩5分程の距離にあり、休日にはよく散策に出かけます。都心にありながら、森林に分け入ったかのような感覚になるほど静かで広大な植物園です。一本一本の木に名札がつけてあるので、木の名前を覚えやすく、どんな環境にどんな植物が生息しているのか肌で感じることができるので、大変勉強になります。
<strong>満開のサンシュユと花も終わりの梅</strong>
　色の重なりが大変きれいです。
<img alt="s%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A6DSCN3214.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A6DSCN3214.JPG" width="500" height="375" />

　2008年3月20日は雨で現場を休みにしたので、ひとけのない植物園に足を運びました。椿の花を中心に写真を取ったのでご紹介します。
　椿は耐陰性があり、葉には光沢があり美しく、代表的な庭園樹の一つです。近年は、温暖化の影響もあり害虫であるチャドクガが大発生し、人間に害を及ぼすため、庭に植えるのを避ける傾向も出てきました。ですが、チャドクガの発生時期はだいたい決まっていて早期駆除すれば被害は少なくできます。出入りの庭師に頼んでおけば定期的に消毒もしてくれることと思います。

<strong>椿　梅ヶ香</strong>
ほんのりピンクできれいです。
<img alt="s%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD%E3%80%80%E6%A2%85%E3%83%B6%E9%A6%99DSCN3198.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD%E3%80%80%E6%A2%85%E3%83%B6%E9%A6%99DSCN3198.JPG" width="500" height="375" />

<strong>春曙光（しゅんしょっこう</strong>）
<img alt="s%E6%98%A5%E6%9B%99%E5%85%89%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%B3%E3%82%A6DSCN3251.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E6%98%A5%E6%9B%99%E5%85%89%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%B3%E3%82%A6DSCN3251.JPG" width="500" height="375" />

<strong>ホソバヒメツバキ</strong>
枝のしなやかな感じが特徴的で、珍しい椿です。
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<strong>曙</strong>
つぼみもかわいい桃色で、お茶花としても人気があります。
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<strong><strong>ツバキ　フラグラントピンク</strong>
とても華やかなドレスのようなはなですね。
<img alt="s%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AFDSCN3194.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AFDSCN3194.JPG" width="500" height="375" />
<strong>玉牡丹（ぎょくぼたん</strong>）
<img alt="s%E7%8E%89%E7%89%A1%E4%B8%B9%E3%80%80%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%AF%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3DSCN3253.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E7%8E%89%E7%89%A1%E4%B8%B9%E3%80%80%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%AF%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3DSCN3253.JPG" width="500" height="375" />
<strong>君が代</strong>
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　ほかにもたくさんの種類の椿が花をつけていました。次回紹介したいと思います。
そのほかに花をつけていた植物や目を惹いた植物を紹介します。

<strong>満開のシナミズキ</strong>
これほど大きな株は珍しく見事です。庭木としてもよく使います。
<img alt="s%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%82%ADDSCN3240.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%82%ADDSCN3240.JPG" width="500" height="375" />　
<strong>ボケの花</strong>
日本の花のように思いますが、平安時代に中国から渡来したといわれます。果実は滋養強壮効果があり、果実酒にも利用されます。
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<strong>ミツマタの花</strong>
田舎の風情があります。樹皮は和紙の原料になります。
<img alt="sDSCN3218.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/sDSCN3218.JPG" width="500" height="375" />

　
<strong>ウグイスカグラの花</strong>
野趣に富み、鶯のように軽やかです。
<img alt="s%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%B0%E3%83%A9DSCN3209.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%B0%E3%83%A9DSCN3209.JPG" width="500" height="375" />

<strong>クリスマスローズの花</strong>
人気の高いクリスマスローズ。白花は清楚で上品ですね。
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strong>ヒマラヤユキノシタ</strong>
大ぶりの葉っぱにピンクの花と、個性派の植物です。庭にもよく植えられます。
<img alt="s%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%82%BFDSCN3274.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%82%BFDSCN3274.JPG" width="500" height="375" />
<strong>フッキソウの花</strong>
葉っぱがかわいくてよく繁茂し、日陰にも強いので、庭園の地被（グランドカバー）としてよく使われます。
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<strong>ゲンカイツツジ</strong>
薄紫の花が遠くからでも大変目を引きます。<img alt="s%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%B8DSCN3243.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%B8DSCN3243.JPG" width="500" height="375" />
<strong>ハヤトミツバツツジ</strong>
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<strong>しがらみ工法の土留め</strong>
環境にやさしい土留めです。造るのも取替えも簡単で、廃材は自然にかえります。
<img alt="s%E3%82%B7%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%9FDSCN3221.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%82%B7%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%9FDSCN3221.JPG" width="500" height="375" />

<strong>シマサルスベリの並木</strong>
沖縄原産との事ですが、関東でも元気に育っています。枝ぶりの力強さが見事です。サルスベリは、花期が長く、別名百日紅とも呼ばれます。
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<strong>白花のジンチョウゲ</strong>
とても良い香りが遠くまで漂います。香りの強い花は、ほかにモクセイ、クチナシ、オガタマがあります。<img alt="s%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%B2%E3%80%80%E7%99%BD%E8%8A%B1DSCN3276.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%B2%E3%80%80%E7%99%BD%E8%8A%B1DSCN3276.JPG" width="500" height="375" />

<strong>タイミンチク</strong>
アジアンテイストいっぱいです。豪快な株立ちの下で子供が雨宿り。<img alt="s%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%AFDSCN3203.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%AFDSCN3203.JPG" width="500" height="375" />

<strong>トキワマンサクの大木</strong>
庭では生垣などにも利用されますが、こんな大木は希少です。
<img alt="s%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%AFDSCN3237.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%AFDSCN3237.JPG" width="500" height="375" />

<strong>チョウセンレンギョウ</strong>
鮮やかな黄色が鮮やかです。勢いが強いので、庭ではある程度スペースが要ります。
<img alt="s%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%A6DSCN3200.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/s%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%A6DSCN3200.JPG" width="500" height="375" />]]>
      
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   <title>心に残る風景　洗濯岩海岸（島根県）</title>
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   <published>2008-03-12T17:41:53Z</published>
   <updated>2008-03-24T11:06:51Z</updated>
   
   <summary>　私の生まれ育った島根県には、数々の美しい景色があります。 　東京で造園業を営ん...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hada.blogdns.com/teien/">
      <![CDATA[　私の生まれ育った島根県には、数々の美しい景色があります。
　東京で造園業を営んでいる今でも、ふと故郷の景色を思い起こすことがあります。
<img alt="%E6%B4%97%E6%BF%AF%E5%B2%A9DSCN2640.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/%E6%B4%97%E6%BF%AF%E5%B2%A9DSCN2640.JPG" width="500" height="375" />
　島根県松江市島根町大芦（おあし）海岸の<strong>「洗濯岩」</strong>は、砂岩と頁岩の互層（交互に重なり合った地層）からなり、粘土質の頁岩がより多く波に浸食されて洗濯板のようになったものです。珍しい景色ですが、長い年月をかけて創られた造形芸術のようにも思えてきます。
　人々は、自然に畏敬の念をもって、長きにわたり自然と調和してきました。庭園の石組は、人間が神秘的で雄大な自然石を崇拝した<strong>磐座</strong>（いわくら）を源としているとも考えられています。
　

<img alt="%E6%B4%97%E6%BF%AF%E5%B2%A9DSCN2636.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/%E6%B4%97%E6%BF%AF%E5%B2%A9DSCN2636.JPG" width="500" height="375" />
　平安時代に書かれた、最古の作庭秘伝書と言われる<strong>『作庭記」</strong>にはこう書かれている。
「或人のいはく、人の立てたる石は、生得の山水にはまさるべからず。ただおほくの国々を見侍しに、所ひとつにあはれおもしろきものかなと、おほゆる事あれと、やかてそのほとりに、さうたいもなき事そのかすありき。人のたつるには、かのおもしろき所々はかりを、ここかしこにまなひたてて、かたはらにそのこととなき石、とりおくことはなきなり。」
　意味は、「ある人の言うには、人の立てた石は、自然の山水には勝てない。ただ多くの国々を見たところ、ある部分に美しい景を見出しても、その周りにはそう大したこともない景のあることが多い。人が（庭を造る人）が石を立てる時には、自然の景の優れた部分を、あちこちに思い浮かべて立て、つまらない景は取り入れなくても良い。」と言うことです。
　
<img alt="senntakuiwa%20DSCN2638.JPG" src="http://hada.blogdns.com/teien/senntakuiwa%20DSCN2638.JPG" width="500" height="375" />
　洗濯岩海岸の景は、私の中で、とても「おもしろき所」のなかの一つです。
庭を造る時に、何かと判断に迷うことがあります。作庭記に書いてあるように、今まで以上に美しい景色を注意深く見て、学び、その感覚を庭に取り入れていきたいと思います。
　島根には、この他にもたくさんの美しい景がありますので、今後帰郷した際に写真を撮って紹介していきたいと思っています。]]>
      
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   <title>法隆寺</title>
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   <published>2007-05-17T12:57:04Z</published>
   <updated>2008-01-15T01:07:36Z</updated>
   
   <summary> 法隆寺　法隆寺西院の金堂・五重塔・中門・回廊等は、8 世紀以前に建てられ、飛鳥...</summary>
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      <![CDATA[<em><strong><法隆寺全景＞</strong></em>
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<strong>法隆寺</strong>　法隆寺西院の金堂・五重塔・中門・回廊等は、8 世紀以前に建てられ、飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築である。その創建の由来は金堂の東の間に安置されている薬師如来像の光背銘や法隆寺伽藍縁起井流記資財帳（７４７）の縁記文によって知ることが出来る。それによると、薬師如来像は、元来用明天皇が発願されたが果たさずに崩御されたという。その遺命によって推古天皇と聖徳太子が推古１５年（６０７）に寺と薬師如来を造られたのが法隆寺であると伝えられる。
　現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられている。境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の優れた木造建築が軒をつらね、日本と東アジアの木造の仏教寺院の歴史を物語る貴重な文化遺産、宗教的遺産が集約されている。
　これらの歴史的建造物は、六世紀以前の中国の建造物と共通する様式をもち、日本に仏教が伝来した六世紀中頃から今日に至る１３００年間にわたって、各時代の寺院建築の発展に影響を与えつづけ、日本文化を理解する上でも貴重な遺産である。
<em><strong>＜南大門＞</strong></em>
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<strong>南大門</strong>　法隆寺の総門で八脚門である。創建時のものは、永享７年に焼失したため、永享１０ 年に再建された。室町時代の和様建築を代表する見事な建造物である。
　組み物に装飾的な花肘木が用いられ、その上に供が二つ乗る双斗が見られる。双斗は後漢（２～３世紀）から醜・晋（４世紀）までの古い様式を伝えるものである。また、装飾的な木鼻が見られ、大仏様の残存と禅宗様への変化が見られる。禅宗様木鼻の一種は拳鼻と呼ばれ、大仏様に比べ出が少なく丸まっており、側面に絵様が施される。
<em><strong>＜中門＞</strong></em>>
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<strong>中門　</strong>重層建築であり、四間三面という柱間構成は他に類例を見ない。一般に門の正面の柱間は奇数であるが、ここでは四間になっている。中央の二間を広くとり安定感を出していることがわかる。エンタシスのある飛鳥様式の柱も立派である。また奥行きが三間あるので、側面から見ても安定感があり、回廊の組み込み方も収まりがよく大変優れている。古式伽藍の姿を伝える唯一の中門である。
<strong><em>＜中門と回廊＞</em></strong>
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　７世紀には金堂と塔を近接して建て、そのまわりを回廊で囲み聖域として区切ったので、南門より中門の方が重んぜられている。中門の左右の間には日本最古の阿吽の金剛力士像が安置され、伽藍を守護している。
<em><strong>＜回廊内部＞</strong></em>
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<strong>回廊</strong>　特に高さのある連子窓が美しい。連子子の間隔が広くゆったりとした雰囲気を持っている。また美しい反りを持った虹梁の上には叉首を組み棟木を受けている。虹梁に反りを持たせるのは中央が垂れ下がって見えるのを矯正するためであるという。
<strong><em>＜金堂＞</em></strong>
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<strong>金堂</strong>　飛鳥様式をよく残した世界最古の木造建築で、本尊は聖徳太子のために造られた止利仏師作の金銅釈迦三尊像（飛鳥時代）である。
その左右には、太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来坐像（飛鳥時代）、母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来坐像（鎌倉時代）がある。
　それを守護するように、樟で造られた日本最古の四天王像（白鳳時代）が見事に彫られた邪鬼の背に立つ。その他、木造吉祥天立像、毘沙門天像（平安時代）等、上代彫刻の粋が集められている。
　強い胴張りを持った１０本の丸柱で囲む空間を西域色豊かな天蓋で包み込み、それを多彩な壁画や装飾で彩り、荘厳な仏世界が表現されている。また、飛鳥時代そのままの一木で造られた扉があり、その厚みと大きさには驚嘆した。
　外観は高さのある重層建築で入母屋造、雄大な軒反りの美しさには圧倒される。下層の裳階は、奈良時代に付け加えられたと考えられ、上層の四隅にある龍の彫り物が巻き付いた支柱も後補である。大きくせり出した軒を支えるためのものだが全体の美観を落としている。
大斗の下の皿斗や、大斗の上の雲形の雲斗雲肘木、勾欄の人字形割東や肥崩しの装飾は飛鳥建築（古式和様建築）の特徴である。基壇は、下に３０㎝ 程の地覆を付けた二重基壇で、東が無く、羽目石だけを並べた古い形式である。石材は凝灰岩とされる。
<em><strong>＜金堂＞</strong></em>
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<em><strong>＜五重塔＞</strong></em>
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<strong>五重塔</strong>　日本最古の五重塔で、基壇上からの高さは３１．５m あり、金堂のほぼ倍の高さがある。最下層の内陣には奈良時代に造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅、西面は釈尊遺骨（舎利）の分割、南面は弥靭菩薩の説法、が表現されている。
逓減率（※ 上に行くほど一辺が減少していく比率）が大きいのが古式塔の特徴だが、下重では方三間、徐々 に組み物間が狭められ、最上重では方二間になっている。
　軒の出は深く、屋根の勾配は緩やかで安定感があり、均整がとれた塔である。しかしこの塔の下層にも、金堂と同じく奈良時代に付加された裳階があり、その分力強さが失われているのは少々 残念である。
<strong><em>＜西円堂形石燈籠＞</em></strong>
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西円堂形石燈龍
大和形式古式石燈龍の代表作として名高い。花尚岩製、高さ約２・３８m 、無銘。かつて西円堂前にあったため、西円堂形の本歌として知られるが、現在は五重塔の西側近く移されている。
　基礎は六角型の切石で、自然石の基礎に反花を刻む三月堂型と比べ新形式といえるが、中台は蓮台式でより古式の様式を持っている。竿は太めで三節の古式。笠は厚みがあり、古式の真反りを持つ。蕨手も良く残っていて力強い。
<em><strong>＜燈籠の基礎から中台＞</strong></em>
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夢殿　東院は、聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平一一年（七三九）に建てた廟所である。八角円堂は興福寺北円堂のように追善供養の目的で建てられることが多い。太子が上宮聖徳法皇とも尊称されることから、上宮王院とも言われる。夢殿はこの東院伽藍の中心に建つ。
　内部中央の厨子には、聖徳太子等身と伝えられる秘仏救世観音像（飛鳥時代）を安置し、その周囲に聖観音菩薩像（平安時代）、東院の創立者行信僧都と再興の功労者道詮律師の影像などを安置する。
　外観は、奈良時代そのままのものではなく、鎌倉時代に上部に改造が加えられている。（※ この夢殿の推定復元図が、小学館発行『 原色日本の美術』 「法隆寺」に掲載されているので参照をお勧めする）創建時の夢殿は三斗で、軒の出も浅く、比較的簡素な意匠の建物であった。改造によって組物を一段増し垂木を長くしたので、現在のように軒の深い堂々 とした姿になった。
　屋根上の露盤は、光を放射しているような造形で、モダンな感じさえする美しいものである。
<em><strong>＜夢殿＞</strong></em>
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   <title>東大寺</title>
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   <published>2007-05-01T08:23:59Z</published>
   <updated>2008-01-15T01:03:19Z</updated>
   
   <summary>＜大仏殿＞  東大寺南大門  　　かつての門は治承四年（一一八○ ）般若寺と同じ...</summary>
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      <![CDATA[<em><strong>＜大仏殿＞</strong></em>
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 <strong>東大寺南大門</strong>
 　　かつての門は治承四年（一一八○ ）般若寺と同じく平重衡軍勢の南都焼討にあい焼失した。
　俊乗房重源は大勧進職として全国を勧進する一方で、源頼朝公の援助も得て復興を進め分治元年（一一八五）には　後白河法皇を導師として大仏の開眼供養を挙行、建久六年　（一一九五）には後鳥羽上皇や源頼朝公の臨席も得て大仏殿落慶供養を行った。
　　さらに、建仁三年（一二○ 三）には後鳥羽上皇の行幸を得て東大寺総供養を行った。この重頼復興の大仏殿こそ、最大の大仏様建築であったが、永禄年間に兵火のため焼失した）現存の南大門は重頼の東大寺復興を物語る唯一といってよい遺構で、本格的な大仏様建築としては、浄土寺浄土堂（兵庫県小野市浄谷町）と双壁を成すものである。
　　五間三面、入母屋造。内部は吹き抜けで化粧屋根裏まで見通す構成となっていて、その直線的な美しさは堂々 たるものである。また天平期の基檀の上に建てられているようで、天平創建の雄大さが伺える。基壇の復興には伊派が加わっている。
　　自然石の礎石上に立つとても太い一八本を数える円柱の垂直材に貫を通して頑丈に連結する構造となっており、その建築様式はそれまでの和様に対して天竺様、または、重源復興の大仏殿に因んで大仏様と言われる。
<strong><em>＜南大門＞</em></strong>
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　　また柱に直接肘木を差し込む挿肘木を六段も重ね、それ　ぞれの肘木には大仏様の皿斗が置かれて上の肘木を受け、最上段の肘木で軒を支える出桁を受ける。六手先と呼ばれ、強度を保つため手先どうしを三段の通肘木で連結する。
　　それまでの和様建築には無かったこれらの構造は、これ程の大建築をいかに簡略化して工期を短縮し、而も強度を保つかという難問に対する画期的なエ夫であったという。

<strong><em>＜石獅子＞</em></strong>
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　　<strong>石獅子</strong>は現在南大門の北の間の網の中に雌雄一対安置されている。最初は中門に置かれていたと言うことである。
　伝えによると造立は建久七年（一一九六）に陳和卿とともに来朝した宋人石エの手による。石材の大理石も大陸から取り寄せたもので、もとは彩色されていた。尾を足下に捲くのは宋風で、、須弥座形台石にも瑞雲、花弁、蓮弁等宋風の浮き彫りが施され華やかな特色が見られる。像高一八八m 。

　　<strong>仁王像</strong>は鎌倉時代正治元年（一一九九）の作で我が国最大の木彫像である。　像高八・四m。何故か阿吽の位置が逆になっている。またそれまでは吽形像は運慶作で、阿形像は快慶作とされていたが、近年の解体修理でその説が覆され、吽形像は大仏師定慶、湛慶で、阿形像は大仏師運慶、快慶が関わったと言うことが分かったという。
<strong><em>＜仁王像＞</em></strong>
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<strong>鐘楼</strong>
離れて眺めると大変軒反りが美しく優雅で、近づいてみると重い鐘を支えるためのどっしりとした巨木の構造に圧倒される。特に虹梁は参加者を驚かせた。
　　鎌倉時代承元年間（一二○ 七5 一○ ）に重源の後大勧進職を務めた明庵栄西によって建てられたと伝えられる。
<strong><em>＜鐘楼＞</em></strong>
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<strong><em>＜鐘楼の細部＞</em></strong>
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　一間四方、単層、入母屋造、本瓦葺。四本の柱で鐘を支える形式の最も古い鐘楼である。大仏様の軸部を貫で繋ぐ構造だが、詰組等の組物、反り返る軒に禅宗様に通じる特徴が見られ、禅宗様の先駆的建築として注目される。
<strong><em>＜鐘楼の細部＞</em></strong>
<img alt="shourou%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%AA%20489.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/shourou%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%AA%20489.jpg" width="333" height="222" />


<strong><em>＜法華堂＞</em></strong>
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<strong>法華堂 </strong>
　　この堂は東大寺の創建より早い天平十二～十九年（七四○ ～四七）頃の創建と言われ、転害門や正倉院と同じく、南都焼討をまぬがれた奈良時代の貴重な建築である。
　本尊は不空絹索観音であることから、東大寺の前身といわれる金鐘寺時代には絹索堂と呼ばれていたが、毎年三月に法華会が行われたので三月堂と呼ばれるようになった。また、外観は一棟に見えるが、内部は後方の正堂部分と前方の礼堂の二つの部分から成っており、奈良時代には、別棟の双堂であった。
　現在の礼堂部分は鎌倉時代正治二年（一二○ ○ ）に重源上人によって新造された建築で、その
後の修理で正堂とひとつづきの建物になった。
　側面から見ると軒をつなげた部分がよく分かる。また天平時代と鎌倉時代の建築を同時に見ることが出来るので、様式の違いを学ぶのに絶好の教材となった。
　肘木の笹繰の有無や間斗東の太さと長さのバランス、連子窓の高さや組子の太さと間隔、大瓶束の有無、亀腹の有無、長押構造と貫構造などが外観の印象にかなりの影響を与えることが分かった。
<strong><em>＜法華堂＞</em></strong>
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つぎに<strong>三月堂形石燈龍</strong> を見学した。法華堂正面に一基献燈形式で立つ、古式大和形式の名品である。
<strong><em>＜三月堂形石燈籠＞</em></strong>
<img alt="%E4%B8%89%E6%9C%88%E5%A0%82%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%AA%20384.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/%E4%B8%89%E6%9C%88%E5%A0%82%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%AA%20384.jpg" width="333" height="222" />

　三月堂とは、法華堂の別名である。竿には建長六年（一二五四）伊行末が奉献した旨が刻まれている。基礎は自然石から円形に八葉の反花を彫りだしており古式である。
　竿は細長く三節で、美しいエンタシスを持ち締まりがある。六角形の中台には側面が現れ、蓮台式との節目にあたる時期の作と考えられる。火袋は大きく、連子が彫ってあり古式である。笠は、軒反りが美しく、当時としては斬新な蕨手も力強さを偲ばせる。欠けや風化が多く痛々 しささえ感じるが、まだまだ凛として役目を果たしている。
<strong><em>＜三月堂形石燈籠＞</em></strong>
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   <title>般若寺　（奈良市般若寺町221）　</title>
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   <published>2007-04-30T12:39:28Z</published>
   <updated>2008-01-15T01:04:19Z</updated>
   
   <summary>　この寺は飛鳥時代に高句麗僧慧灌法師によって開かれた。その後、聖武天皇の時、平城...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hada.blogdns.com/teien/">
      <![CDATA[　この寺は飛鳥時代に高句麗僧慧灌法師によって開かれた。その後、聖武天皇の時、平城京の鬼門鎮護のために堂塔を造営されたと伝えられる。
　京都から奈良への要路に当たるため、源平の争乱に際し、平重衡の南都焼討にあい焼失したが、西大寺叡尊上人により、文殊菩薩の霊場として復興され、庶民救済の文殊会を盛んに開くようになった。
<em><strong>十三重石塔</strong></em>　
<img alt="13tou%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20049.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/13tou%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20049.jpg" width="333" height="250" />

　　<strong>十三重石塔</strong>は、高さ十四・二m と巨大で、日本で二番目に大きい作である。一番大きいのは、宇治川浮島の十三重の塔で、叡尊上人の発願により、般若寺より三十年ほど後に造られた。般若寺にある十三重塔の作者は、南宋国明州（漸江省寧波）の石工<strong>伊行末</strong>で、建長五年（一二五三）の造立。第一重を大きく造るのは中国式だとゆうことだが、高さの割りに安定感があるのはそのせいだろうか。各重には控えめだが軒反りがあり、天に向かってそびえ立つ感じを演出していると思う。第一、四、七、十層に経巻や金銅仏が納入されていたという。塔身の四方仏も繊細に線刻してあり美しく、よく保存されている。
<em><strong>地面に降ろされた相輪部分</strong></em>　
<img alt="sourinn%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20053.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/sourinn%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20053.jpg" width="250" height="333" />
　　<strong>相輪</strong>は落下、倒壊を避けるため、本物が地面に下ろしてある。現在上部に乗せられている相輪はセメント製の模作で、色が違っている。そのおかげで本物の相輪を間近に見ることが出来た。九輪では、間の擦と呼ばれる部分が広く、しっかりと彫ってあるほど古式という傾向があるそうだ。
<em><strong>椿山荘にある般若寺形石燈籠の本歌</strong></em>　　
<img alt="touroufine%20011.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/touroufine%20011.jpg" width="333" height="250" />
　　　つぎに石燈龍を見た。日本庭園研究会の例会でも何度か取り上げられ、現在般若寺にある石燈籠は、<strong>般若寺形石燈龍</strong>の模刻品であることは周知のことである。
　　火袋の彫刻や格狭間が、東京都目白の椿山荘にある本歌燈龍とどれ程違うのか、拓本を使って比較しながら説明を受けた。確かに本歌の方が断然美しい。模刻品は、相対的に太ったイメージになることが多いそうである。
<em><strong>本歌燈籠の火袋彫刻</strong></em>　
<img alt="hououfine%20006.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/hououfine%20006.jpg" width="333" height="250" />


<em><strong>笠塔婆</strong></em>　　
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　　つぎに<strong>笠塔婆</strong> を見学した。伊行末の子息行吉が亡き父の供養と、母の息災延命を願って建立したものである。南北に並ペて二基立てられており、弘長元年（一二六一）の作で、高さ四・八m もあり、巨大である。笠の軒反りが真反りで美しく、鎌倉中期以前の様式である。また、北塔に阿弥陀三尊、南塔には釈迦三尊の梵字が彫ってあるが、とても力強い字彫りである。何度か倒れたらしく、補修してあるが、その立ち様は行吉の願の大きさを示すように思える。


<em><strong>楼門</strong></em>　　
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　つぎに国宝に指定されている<strong>楼門</strong>を見学した。二重門の下重の屋根に代えて廻縁をめぐらすのが楼門の特徴であるが、現存最古の楼門として知られる。下層は中央の柱を省いて桁行一間とし、上層は桁行三間となっている。
　全体に横幅に対して高さをより強調していて、軒反りも大変美しく立派な門である。下層上部梁にある板蟇股等、和様の細部をよく示しているが、木鼻にはこの地方の特色である大仏様の影響が見られる。


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   <title>酬恩庵（一休寺）　　京都府京田辺市薪里ノ内102  </title>
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   <published>2007-04-28T10:24:06Z</published>
   <updated>2007-04-28T14:17:30Z</updated>
   
   <summary>かつての名は妙勝寺であり、鎌倉時代、臨済宗の高僧大応国師（南浦紹明）が中国の虚堂...</summary>
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      <![CDATA[かつての名は妙勝寺であり、鎌倉時代、臨済宗の高僧大応国師（南浦紹明）が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後この地に禅の道場を建てたのが始めである。その後、元弘の戦火にかかり焼失、荒廃していたものを、室町時代の康正二年（一四五六）に名僧一休禅師が宗祖の遺風を慕って再興し、師の恩にむくいる意味で酬恩庵と命名した。

ここでは、まず本堂を見学した。堂は、永享年間（一四二九～ 四○ ）、室町幕府六代将軍、足利義教の帰依により建立された。入母屋造り槽皮葺で、内部には釈迦如来、文珠菩薩、普賢菩薩を祀り、山城、大和の禅宗様建築では最も古いとされる。禅宗様建築の典型的な構造で、詰組の組物、一扇垂木の配された反りの強い軒、粽柱、木鼻、火頭窓、桟唐戸等が見られる。内部構造には蝦虹梁も使われていて、多彩な装飾が見られる。

次ぎに方丈庭園 を見学した。一休没後、信長の寺領没収によって衰退、荒廃していたものを加賀藩主前田利常が慶安三年（一六五○ ）に再興に着手し、この時に方丈庭も築造されたという。前田利常は、東京大学にある育徳園を造営した人物でもある。方丈庭園の作者は、松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の合作ともいわれるが、松花堂昭乗は寛永十六年（一六三九）に亡くなっているので信用を欠くところがある。
方丈南庭は白砂敷きで、伝統的な手法が用いられている。南庭の背景には虎丘庵と寿塔の慈揚塔を望むことが出来る。照り起りの槽皮葺の屋根と軒反りの強い瓦葺きの屋根が対照的である。

東庭は、土塀との間の細長い敷地に石組がある。細長い敷地がよく生かされており、石の据え方、配置から洗練された感覚を感じる。また、この庭は、大徳寺本坊庭と同じで十六羅漢の石組とも呼ばれているそうだ。
<img alt="kita%20%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20033.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/kita%20%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20033.jpg" width="300" height="225" />

北庭が主庭で、枯滝、中島、三重の塔燈籠等で構成されている。枯滝石組の構成や石の立て方が大徳寺大仙院とよく似ていると感じたが、やはり作庭の参考にしたのであろうか。中島の立石、枯滝石組はとても力強く、小規模ながら大変な名園であると思う。
<img alt="kita%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20030.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/kita%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20030.jpg" width="300" height="225" />

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   <title>東京の庭園　靖国神社神池庭園</title>
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   <published>2007-04-17T14:35:31Z</published>
   <updated>2007-04-21T17:30:13Z</updated>
   
   <summary>東京都九段にある靖国神社内苑には、素晴らしい造形の池泉庭園が保存されています。参...</summary>
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      <![CDATA[東京都九段にある靖国神社内苑には、素晴らしい造形の池泉庭園が保存されています。参拝したけれど神池庭園は見たことがないと言う方が多いので紹介させて頂きます。

<strong>＜サクラが開花した池泉庭園＞</strong>
<img alt="%E9%9D%96%E5%9B%BDfine%20007.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/%E9%9D%96%E5%9B%BDfine%20007.jpg" width="300" height="225" />
神社の森に囲まれて静かに佇む神池庭園は、都会の喧騒を忘れさせてくれるようです。回遊できるので、様々な角度から鑑賞することができます。

<strong>＜力強い滝岩組＞</strong>
<img alt="%E6%BB%9Dfine%20020.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/%E6%BB%9Dfine%20020.jpg" width="300" height="225" />
長い伝統を持つ日本庭園の歴史の中で、岩組は、最も永遠性がある造形で、古庭園からもその造形美や作者の精神性を感じることができます。　江戸時代中期以降、日本庭園が定型化し、退化してしまったと言われる中、明治１５年に完成した靖国神社の滝岩組は、古庭園に勝るとも劣らない力強さと造形美を誇ると評価されています。

<strong>＜舟形石と岩島のむこうに茶亭を望む＞</strong>
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舟形石や岩島が大変効果的な空間構成の役割を果たしています。岩島は１９９９年の修復工事の際に、日本庭園研究会会長の吉河　功先生の監督のもと組まれたものです。また、奥に見える切石橋は、全国でも屈指の長さがあり、大変見事です。

この庭園が将来にわたって美しく保存できるよう精進していきたいと思っています。]]>
      
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   <title>東京の庭園　旧岩崎邸庭園</title>
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   <published>2007-04-06T14:03:48Z</published>
   <updated>2007-04-06T15:33:34Z</updated>
   
   <summary>旧岩崎邸庭園は、明治２９年、ジョサイア・コンドルの設計によって完成した洋館と和館...</summary>
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      <![CDATA[旧岩崎邸庭園は、明治２９年、ジョサイア・コンドルの設計によって完成した洋館と和館が併置されており、あまりの豪華さに圧倒されてしまう。
<img alt="%E5%BB%BA%E7%AF%89fine%20008.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/%E5%BB%BA%E7%AF%89fine%20008.jpg" width="300" height="225" />
<br>
丁寧に積まれた石垣を見つけました。
<img alt="%E7%9F%B3%E5%9E%A3fine%20012.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/%E7%9F%B3%E5%9E%A3fine%20012.jpg" width="300" height="225" />
この玉石の石垣は、モルタルを使わず、石を加工することによって隙間を無くし、強度を上げています。手間はかかりますが、町でよく見かけるモルタルだらけの玉石の石垣とは比べものになりません。
<br>
和室の縁先には大きな棗形手水鉢が据えてあります。
<img alt="%E7%B8%81%E5%85%88fine%20007.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/%E7%B8%81%E5%85%88fine%20007.jpg" width="300" height="225" />
岩崎家では石造品に関しては、大きなものを好まれたようで、バランス感覚よりも豪快さが目立ちます。]]>
      
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   <title>朝倉彫塑館の庭園</title>
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   <published>2007-03-26T20:18:04Z</published>
   <updated>2007-03-26T20:20:03Z</updated>
   
   <summary>渡り廊下からの景 縁先手水鉢の景 先日、お客さんに勧められて朝倉彫塑館を訪れまし...</summary>
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      <![CDATA[渡り廊下からの景
<br>
<img alt="asakura%20013.jpg" src="http://hada.blogdns.com/niwamake/asakura%20013.jpg" width="300" height="225" />
<br>
縁先手水鉢の景
<img alt="asakura012.jpg" src="http://hada.blogdns.com/niwamake/asakura012.jpg" width="300" height="225" />
<br>
<img alt="no1.jpg" src="http://hada.blogdns.com/niwamake/no1.jpg" width="500" height="264" />
<br>
先日、お客さんに勧められて朝倉彫塑館を訪れました。所在地は東京都台東区谷中で、日暮里の駅から徒歩５分程の高台にあります。建築は、彫塑家　朝倉文夫（１８８３～１９６４）本人の設計、監督のもと昭和１０年に完成したもので、西洋建築と日本建築がうまく融合しています。派手さは無いのですが、細部まで丁寧な仕事が施してあり、大切に管理されているので、主張しすぎない粋で落ち着いた空気を感じる事ができました。
<img alt="fine%20012.jpg" src="http://hada.blogdns.com/niwamake/fine%20012.jpg" width="200" height="213" />
<br>　
中庭は、「五典の水庭」と呼ばれ、地下の湧水を利用し、儒教の五常の教えを造形化した「仁」「義」「礼「智」「信」の五つの巨石と鞍馬石の飛び石、六方石の橋が配されています。また、1月の白梅に始り12月の山茶花で終わるまで、四季折々に白い花を咲かせる木が植えられています。それは、生涯にわたって素直さや純粋さを持ちつづけたいとのぞんだ朝倉氏が、白い花を素直、純粋の色とみたところからきています。しかし「物事は満つれば欠くる」の喩えもあり、完璧を避けるため、一本だけ赤い花（百日紅）が植えられたという事です。
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   <title>東大寺　転害門</title>
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   <published>2007-03-25T15:29:02Z</published>
   <updated>2007-03-25T15:30:21Z</updated>
   
   <summary>  東大寺草創以来の貴重な遺構である。西側に設けられた三カ所の門のうち北門にあた...</summary>
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      <![CDATA[<br>
<img alt="tegaimonn.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/tegaimonn.jpg" width="300" height="225" />
<br>
 東大寺草創以来の貴重な遺構である。西側に設けられた三カ所の門のうち北門にあたる。東大寺の鎮守社である手向山八幡宮の転害会の旅所に用いられたことから転害門とよばれる。三間一戸の八脚門 で、中央間二〇尺、脇間一八尺と大規模で雄大である。元来は三斗で二重虹梁蟇股を備える天平時代の標準的な構造であったが、鎌倉時代の大修理の時に大斗上に通肘木を加え、その先端で出組とした。そのため屋根が高く、大きくなり、より立派な姿になった。基壇部分も古式の壇上積で立派である。
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   <title>浄瑠璃寺研修</title>
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   <published>2007-03-25T15:21:48Z</published>
   <updated>2007-04-08T11:43:10Z</updated>
   
   <summary> 岩船寺と同じく、京都府相楽郡加茂町にある真言律宗の寺である。静かな山里の中にあ...</summary>
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      <![CDATA[<br>
<img alt="joururi.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/joururi.jpg" width="300" height="225" />
<br>
岩船寺と同じく、京都府相楽郡加茂町にある真言律宗の寺である。静かな山里の中にあり、のんびりとした時間の流れは訪れる人をほっとさせるだろう。
浄瑠璃寺の沿革は，寺に蔵される「浄瑠璃寺流記事」観応元年（１３５０）に記されている。永承２年（一〇四七）、現在三重塔に安置される薬師如来像を本尊として創建された。浄瑠璃寺という寺号は薬師如来の仏国土、東方浄瑠璃世界に因んだものである。現在の本尊は九体の阿弥陀如来像であり、江戸時代頃より九体寺とも呼ばれるようになった。
<strong><strong>庭園</strong></strong>  久安三年（一一四七）摂政藤原忠通の第一子伊豆僧正恵信が興福寺一条院より入寺してきたことで、浄瑠璃寺の寺盛は大変盛んになった。興福寺権別当であった恵信は、別当職就任をめぐって、前右大臣藤原宗忠の子である覚晴に先を越されて敗れた事を不満として、浄瑠璃寺の延観上人のもとへ隠棲したのである。恵心はまず寺域の境界を定め、久安六年（一一五〇）池を掘り石を立てたという。恵信の祖父藤原忠実は、作庭記を伝承した一人であり、恵信も作庭に長けていたのではないかといわれる。そして保元二年（一一五七）九体阿弥陀堂を現在のように池の西岸に移築した。その後治承二年（一一七八）三重塔が京都の一条大宮から移建された。これをもって現在の伽藍の中心である九体阿弥陀堂と池と三重塔が、池を中心に東の薬師如来、西の阿弥陀如来という浄土の世界をを具現化した美しい構成となった。現存する浄土式庭園の中でも、唯一建築とともに保存されている貴重な文化財である。
また、庭に関しては元久二年（一二〇五）、京都から少納言法眼という人がきて、楼門内池辺に石を立てたという記録が浄瑠璃寺流記に残っている。
池は、東岸に州浜形式の出島、岩島の有る中島を中心に構成され、地割が美しい。岩組は少ないが、岩島は対岸との遠近感を強調していて効果的である。
<strong><strong><strong>石燈籠</strong></strong></strong>  九体阿弥陀堂前と三重塔前に一基ずつ、一基献灯形式で据えられている。阿弥陀堂前の作は同時代の作だがひょろ長くてバランスが悪い。三重塔前の方が名品である。花崗岩製、高さ二．一五ｍ、南北朝時代貞治五年（一三六六）の銘有り。典型的な大和様式の六角形石燈籠だが、鎌倉時代の作と比べて装飾的になってきている。基礎の竿受座には蓮実彫刻、子房請花を有し、中台上部には反花を刻んでいる。また、火袋の彫刻も、一茎蓮上に円窓を刻む等大変凝っている。全体的なバランスも優れていて、大和様式の進化を示す貴重な遺品である。
<img alt="tourou%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20129.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/tourou%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%A0%94%E4%BF%AE%20129.jpg" width="300" height="400" />

<strong><strong>石臼</strong></strong>
本堂前の池側に置かれている。南北朝時代の永仁四年（一二九六）の作で一二面という珍しい平面を示す。基礎の部分と上部が一石造で、側面に銘文が刻まれていると聞いたが、基礎の部分は埋まっており、穴の部分には水が溜まり水生植物が入れてあった。側面もかなり風化している。
最後に九体阿弥陀仏をゆっくりと干渉して寺を後にした。]]>
      
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   <title>岩船寺研修</title>
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   <published>2007-03-25T15:09:49Z</published>
   <updated>2007-04-08T11:26:48Z</updated>
   
   <summary> 京都府相楽郡加茂町にある真言律宗の寺である。奈良県との県境に位置する。浄瑠璃寺...</summary>
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      <![CDATA[<br>
<img alt="gannsennji.jpg" src="http://hada.blogdns.com/teien/gannsennji.jpg" width="300" height="225" />
<br>
京都府相楽郡加茂町にある真言律宗の寺である。奈良県との県境に位置する。浄瑠璃寺から北東に約一キロの山峡にあり、鄙びた山寺の佇まいである。
創建については明らかでないが、寺伝によれば天平元年（七二九）聖武天皇の発願により行基菩薩（六六八～七四九）がこの地に白山神社を建てたことに始まる。さらに行基は岩船寺にほど近い鳴川に阿弥陀堂を営んだが、後に弘法大師空海がそこに善根寺を建立した。そして、空海の甥にあたる智泉大徳が、嵯峨天皇の皇子の誕生を祈願して、善根寺の灌頂堂内に報恩院という一院を建立した。その後、皇孫誕生のこともあって弘仁四年（八一三）堂塔伽藍が整備され、後に岩船寺となったと伝えられる。ただし、善根寺報恩院が岩船寺の前身であるという確証はない。
<strong>岩風呂</strong>
境内に至る石段の手前に置かれている。鎌倉時代作、花崗岩性、舟形で、深い水穴が穿たれており、立派である。人一人楽にはいることのできそうな水穴なので現在の湯風呂と勘違いしそうになるが、会長のお話では、蒸風呂用の水を湛える設備であったということである。現在では石風呂を手水鉢に応用している例がある。
<strong>五輪塔</strong>
山門の東脇にある。高さ約二．三五ｍで鎌倉後期の作、この地方の特色である複弁反花座を有する。笠の軒反には鎌倉末期的な堅さがみられるが、水輪には張りがある。保存状態がよく、均整のとれた安定感がある。昭和一三年に、寺から三〇〇ｍ離れた北谷の墓地から移建されている。
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<strong>十三重石塔 </strong>
本堂前の立派な古式壇上積基壇の上に据えられている高さ約五．三ｍの塔で、花崗岩性、鎌倉時代中期の作で完成された美しさがある。保存状態がよく、端正で清楚な印象を受ける。塔身の四方には薬研彫で金剛界四仏を示す梵字が力強く刻まれている。この塔身の内部からは、水晶製の五輪塔が発見されている。相輪も般若寺と同じく水烟付のもので、精巧に作られている。
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<strong>不動石龕</strong>
石龕とは石の逗子のことである。奥壁に火焔光背付不動明王を薄肉に浮き彫りして，前面左右に角石柱を立て、その上に寄棟造型式の雄大な笠石を架けて石龕としている。軒反は鎌倉末期の様式である。また、奥壁に銘文があり、応長二年初夏（四月）六日としているが、三月一六日には正和元年に改元されているので矛盾がある。この矛盾は、それ以前に開眼日を予定して先に彫り終わってしまったことが原因であろう、というおもしろい経緯も伺った。
<strong>三重塔</strong>
寺伝によれば承和二年（八三五）創建、弘和二年（１３８２）の再建とされるが、昭和一八年の解体修理の際に二重目西側丸桁より嘉吉二年（一四四二）の銘が発見され、建立年代が明らかになった。山を背に、東向きに建てられており、総高は一七．五ｍと三重塔の中では小ぶりである。和様を基調としているが、禅宗様の拳鼻がみられる。拳鼻の意匠が二，三重で少し異なるのは室町時代の特色であるという。また、隅の大斗は皿斗となっている。そして、 各層の角にある尾垂木の上には邪鬼が潰されそうになって軒を懸命に支える姿が見える等特色ある細部を示す。内部は芯柱を二層で止めた形式とされる。
<strong>阿弥陀如来座像</strong>
欅の一木造で、像高二八四cmの大像である。像内部の墨書より、天慶九年（九四六）の作であることが判っている。平安初期彫刻（貞観彫刻）と藤原彫刻（定朝様式）の過渡期にあたり、仏教彫刻史に於いて貴重な作とされる。]]>
      
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   <title>円成寺研修</title>
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   <published>2007-03-25T14:56:38Z</published>
   <updated>2007-04-08T11:58:01Z</updated>
   
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奈良市忍辱山町にある真言宗の寺である。平安中期の万寿三年（一〇二六）命禅上人の開創。実範上人、寛遍僧正などが止住して隆盛をみたが、文正元年（一四六六）の応仁の兵乱にかかり焼亡。その後再興し、江戸時代には家康の殊遇を得て一大霊場となった。幕末の動乱、明治維新の神仏分離以降の衰退をのりこえ聖域を確保している。
<strong>庭園</strong>
仁平三年（一一五三）寛遍僧正の時に伽藍の前に園池が掘られ、南門から池中の中島を経由する二本の橋を通って本堂に至る泮池様式とされた。阿弥陀の極楽浄土にあるという阿弥陀宝池を表現した浄土庭園の一例でもある。現在橋は失われているが、中島は残っている。また、池の北側に岩島のような岩組も残されているが古来のものであろうか。時代は下るが籬島軒秋里著の大和名所図絵寛政三年（一七九一）には、池のやや北寄りに中島があり、朱塗りの反り橋が架かっている様子や、西側にある第二の中島、池中にある幾つかの景石が描かれている。
また、北側池中には石臼型手水鉢がある。以前は底に穴を穿ち噴水として用いられていたようである。元弘三年（一三三三）の銘が刻まれているが模刻品らしく、実物は東京博物館梁瀬分館に移されたということである。
なお、明治初期に、伽藍地と苑池の間に池を埋めて県道が通され、美観を損ねていたところ、昭和三六年道路を庭園の南に移し、昭和五〇年発掘調査、昭和五一年に復元改修工事が森蘊氏の指導の元に行われている。
<strong>楼門</strong>
文正元年（一四六六）消失し、応仁二年（一四六八）再建される。三間二面入母屋桧皮葺で、総円柱にして、上下層とも肘木に木口がある和様三手先を用いる。上層部は縁板を廻らしてあるが、勾欄も、扉も、連子窓もなく、朱塗も施されてない。そのため素朴な印象を受ける。なお、上層部は、大正五年に原形を留めないほど破損していたが、当時の県技師天沼俊一氏の監督の下、下層に準じて設計、施工された。
        操作なし  しかし、下層には正、背面とも当初の花肘木が保存されている。正面には蓮唐草浮彫の中央、蓮華上の月輪に梵字?キリーク（阿弥陀如来）を刻み、背面には牡丹唐草浮彫の中央、牡丹花上に宝珠を刻む。この花肘木は大仏様の皿斗の上に乗っており、花肘木上の斗もない。双斗から発展したといわれる花肘木が使われ出した当時としては大変豊かで優れた意匠といえる。また、屋内では大仏様木鼻と像鼻に近い木鼻の二様の木鼻が併用されている点も興味深い。
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<strong>春日社・白山社</strong>本堂の東側石垣上に二棟続きの春日造の社殿がある。白山大権現・春日大明神を祀る円成寺の鎮守社である。鎌倉初期の安貞二年（一二二八）奈良春日大社造営の際、旧社殿を遷座したもので、全国で最も古い春日作り社殿として貴重であるところから、国宝に指定されている。
細部では、脚の踏ん張りや、肩の張りが力強い古式刳抜蟇股、おおらかな軒反等に着目した。小社ながら、細部意匠から全体のバランスに至るまで美が凝縮されている。
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<strong>仏像その他</strong>
大日如来座像は、運慶直筆の銘を持つ最初期作として名高く、国宝に指定されている。近年建てられた多宝塔の本尊として安置されている。智拳印を結んだ結んだ姿は、若々しい力を感じさせる。
その他印象に残ったのは、勧請縄と呼ばれる珍しい形をしたしめ縄である。東の入り口に吊されていて、神仏をお迎えして、五穀豊穣、家庭円満を願う村人の願いが込められているそうである。この地方独特の民俗資料である。
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都塵を絶した自然の懐に抱かれ、心身が清められる様な情緒深い聖域の中に数々の文化遺産を持つ円成寺は大変印象深い。
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   <title>飛鳥寺研修　</title>
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   <published>2007-03-25T14:28:37Z</published>
   <updated>2007-05-01T14:35:25Z</updated>
   
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蘇我氏の氏寺で、本格的な私寺としては日本最古の法興寺を前身とする。現在の正式名称は安居院（あんごいん）で、飛鳥寺は呼称である。法興寺は、崇峻天皇元年（五八八）に百済から仏舎利を献じられた事により、蘇我馬子が建立を発願し、推古天皇四年（五九六）に完成したと伝えられる。当初の伽藍は、五重塔を囲んで中金堂、東金堂、西金堂が建つ一塔三金堂式の壮大なものであったことが発掘調査の結果分かっている。現在の本堂は、江戸末期に再建されたもので小規模となっているが、本尊は通称飛鳥大仏として広く知られている。飛鳥大仏（銅造釈迦如来坐像）は、止利仏師の作で推古十四年（六〇六）完成したものと伝えられる。鎌倉時代の火災で大きな損害を受けているが、表情には飛鳥彫刻の特徴が伺える。同じ止利仏師作の法隆寺金堂・釈迦三尊像と似た印象を受ける。
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また、飛鳥寺の西側に「入鹿の首塚」として五輪塔がたてられていた。大化の改新の担い手となった中大兄皇子、中臣鎌足によって暗殺された蘇我入鹿が祀られているのだが経緯は定かでない。
二日目の研修は以上、斑鳩から飛鳥へと古代の神秘的な文化を感じることができた。
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