<法隆寺全景>

法隆寺 法隆寺西院の金堂・五重塔・中門・回廊等は、8 世紀以前に建てられ、飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築である。その創建の由来は金堂の東の間に安置されている薬師如来像の光背銘や法隆寺伽藍縁起井流記資財帳(747)の縁記文によって知ることが出来る。それによると、薬師如来像は、元来用明天皇が発願されたが果たさずに崩御されたという。その遺命によって推古天皇と聖徳太子が推古15年(607)に寺と薬師如来を造られたのが法隆寺であると伝えられる。
現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられている。境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の優れた木造建築が軒をつらね、日本と東アジアの木造の仏教寺院の歴史を物語る貴重な文化遺産、宗教的遺産が集約されている。
これらの歴史的建造物は、六世紀以前の中国の建造物と共通する様式をもち、日本に仏教が伝来した六世紀中頃から今日に至る1300年間にわたって、各時代の寺院建築の発展に影響を与えつづけ、日本文化を理解する上でも貴重な遺産である。
<南大門>

南大門 法隆寺の総門で八脚門である。創建時のものは、永享7年に焼失したため、永享10 年に再建された。室町時代の和様建築を代表する見事な建造物である。
組み物に装飾的な花肘木が用いられ、その上に供が二つ乗る双斗が見られる。双斗は後漢(2~3世紀)から醜・晋(4世紀)までの古い様式を伝えるものである。また、装飾的な木鼻が見られ、大仏様の残存と禅宗様への変化が見られる。禅宗様木鼻の一種は拳鼻と呼ばれ、大仏様に比べ出が少なく丸まっており、側面に絵様が施される。
<中門>>

中門 重層建築であり、四間三面という柱間構成は他に類例を見ない。一般に門の正面の柱間は奇数であるが、ここでは四間になっている。中央の二間を広くとり安定感を出していることがわかる。エンタシスのある飛鳥様式の柱も立派である。また奥行きが三間あるので、側面から見ても安定感があり、回廊の組み込み方も収まりがよく大変優れている。古式伽藍の姿を伝える唯一の中門である。
<中門と回廊>

7世紀には金堂と塔を近接して建て、そのまわりを回廊で囲み聖域として区切ったので、南門より中門の方が重んぜられている。中門の左右の間には日本最古の阿吽の金剛力士像が安置され、伽藍を守護している。
<回廊内部>

回廊 特に高さのある連子窓が美しい。連子子の間隔が広くゆったりとした雰囲気を持っている。また美しい反りを持った虹梁の上には叉首を組み棟木を受けている。虹梁に反りを持たせるのは中央が垂れ下がって見えるのを矯正するためであるという。
<金堂>

金堂 飛鳥様式をよく残した世界最古の木造建築で、本尊は聖徳太子のために造られた止利仏師作の金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)である。
その左右には、太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来坐像(飛鳥時代)、母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)がある。
それを守護するように、樟で造られた日本最古の四天王像(白鳳時代)が見事に彫られた邪鬼の背に立つ。その他、木造吉祥天立像、毘沙門天像(平安時代)等、上代彫刻の粋が集められている。
強い胴張りを持った10本の丸柱で囲む空間を西域色豊かな天蓋で包み込み、それを多彩な壁画や装飾で彩り、荘厳な仏世界が表現されている。また、飛鳥時代そのままの一木で造られた扉があり、その厚みと大きさには驚嘆した。
外観は高さのある重層建築で入母屋造、雄大な軒反りの美しさには圧倒される。下層の裳階は、奈良時代に付け加えられたと考えられ、上層の四隅にある龍の彫り物が巻き付いた支柱も後補である。大きくせり出した軒を支えるためのものだが全体の美観を落としている。
大斗の下の皿斗や、大斗の上の雲形の雲斗雲肘木、勾欄の人字形割東や肥崩しの装飾は飛鳥建築(古式和様建築)の特徴である。基壇は、下に30㎝ 程の地覆を付けた二重基壇で、東が無く、羽目石だけを並べた古い形式である。石材は凝灰岩とされる。
<金堂>

<五重塔>

五重塔 日本最古の五重塔で、基壇上からの高さは31.5m あり、金堂のほぼ倍の高さがある。最下層の内陣には奈良時代に造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥靭菩薩の説法、が表現されている。
逓減率(※ 上に行くほど一辺が減少していく比率)が大きいのが古式塔の特徴だが、下重では方三間、徐々 に組み物間が狭められ、最上重では方二間になっている。
軒の出は深く、屋根の勾配は緩やかで安定感があり、均整がとれた塔である。しかしこの塔の下層にも、金堂と同じく奈良時代に付加された裳階があり、その分力強さが失われているのは少々 残念である。
<西円堂形石燈籠>

西円堂形石燈龍
大和形式古式石燈龍の代表作として名高い。花尚岩製、高さ約2・38m 、無銘。かつて西円堂前にあったため、西円堂形の本歌として知られるが、現在は五重塔の西側近く移されている。
基礎は六角型の切石で、自然石の基礎に反花を刻む三月堂型と比べ新形式といえるが、中台は蓮台式でより古式の様式を持っている。竿は太めで三節の古式。笠は厚みがあり、古式の真反りを持つ。蕨手も良く残っていて力強い。
<燈籠の基礎から中台>

夢殿 東院は、聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平一一年(七三九)に建てた廟所である。八角円堂は興福寺北円堂のように追善供養の目的で建てられることが多い。太子が上宮聖徳法皇とも尊称されることから、上宮王院とも言われる。夢殿はこの東院伽藍の中心に建つ。
内部中央の厨子には、聖徳太子等身と伝えられる秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、その周囲に聖観音菩薩像(平安時代)、東院の創立者行信僧都と再興の功労者道詮律師の影像などを安置する。
外観は、奈良時代そのままのものではなく、鎌倉時代に上部に改造が加えられている。(※ この夢殿の推定復元図が、小学館発行『 原色日本の美術』 「法隆寺」に掲載されているので参照をお勧めする)創建時の夢殿は三斗で、軒の出も浅く、比較的簡素な意匠の建物であった。改造によって組物を一段増し垂木を長くしたので、現在のように軒の深い堂々 とした姿になった。
屋根上の露盤は、光を放射しているような造形で、モダンな感じさえする美しいものである。
<夢殿>

