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2007年05月 アーカイブ

2007年05月01日

東大寺

<大仏殿>
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東大寺南大門
  かつての門は治承四年(一一八○ )般若寺と同じく平重衡軍勢の南都焼討にあい焼失した。
 俊乗房重源は大勧進職として全国を勧進する一方で、源頼朝公の援助も得て復興を進め分治元年(一一八五)には 後白河法皇を導師として大仏の開眼供養を挙行、建久六年 (一一九五)には後鳥羽上皇や源頼朝公の臨席も得て大仏殿落慶供養を行った。
  さらに、建仁三年(一二○ 三)には後鳥羽上皇の行幸を得て東大寺総供養を行った。この重頼復興の大仏殿こそ、最大の大仏様建築であったが、永禄年間に兵火のため焼失した)現存の南大門は重頼の東大寺復興を物語る唯一といってよい遺構で、本格的な大仏様建築としては、浄土寺浄土堂(兵庫県小野市浄谷町)と双壁を成すものである。
  五間三面、入母屋造。内部は吹き抜けで化粧屋根裏まで見通す構成となっていて、その直線的な美しさは堂々 たるものである。また天平期の基檀の上に建てられているようで、天平創建の雄大さが伺える。基壇の復興には伊派が加わっている。
  自然石の礎石上に立つとても太い一八本を数える円柱の垂直材に貫を通して頑丈に連結する構造となっており、その建築様式はそれまでの和様に対して天竺様、または、重源復興の大仏殿に因んで大仏様と言われる。
<南大門>
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  また柱に直接肘木を差し込む挿肘木を六段も重ね、それ ぞれの肘木には大仏様の皿斗が置かれて上の肘木を受け、最上段の肘木で軒を支える出桁を受ける。六手先と呼ばれ、強度を保つため手先どうしを三段の通肘木で連結する。
  それまでの和様建築には無かったこれらの構造は、これ程の大建築をいかに簡略化して工期を短縮し、而も強度を保つかという難問に対する画期的なエ夫であったという。

<石獅子>
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  石獅子は現在南大門の北の間の網の中に雌雄一対安置されている。最初は中門に置かれていたと言うことである。
 伝えによると造立は建久七年(一一九六)に陳和卿とともに来朝した宋人石エの手による。石材の大理石も大陸から取り寄せたもので、もとは彩色されていた。尾を足下に捲くのは宋風で、、須弥座形台石にも瑞雲、花弁、蓮弁等宋風の浮き彫りが施され華やかな特色が見られる。像高一八八m 。

  仁王像は鎌倉時代正治元年(一一九九)の作で我が国最大の木彫像である。 像高八・四m。何故か阿吽の位置が逆になっている。またそれまでは吽形像は運慶作で、阿形像は快慶作とされていたが、近年の解体修理でその説が覆され、吽形像は大仏師定慶、湛慶で、阿形像は大仏師運慶、快慶が関わったと言うことが分かったという。
<仁王像>
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鐘楼
離れて眺めると大変軒反りが美しく優雅で、近づいてみると重い鐘を支えるためのどっしりとした巨木の構造に圧倒される。特に虹梁は参加者を驚かせた。
  鎌倉時代承元年間(一二○ 七5 一○ )に重源の後大勧進職を務めた明庵栄西によって建てられたと伝えられる。
<鐘楼>
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<鐘楼の細部>
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 一間四方、単層、入母屋造、本瓦葺。四本の柱で鐘を支える形式の最も古い鐘楼である。大仏様の軸部を貫で繋ぐ構造だが、詰組等の組物、反り返る軒に禅宗様に通じる特徴が見られ、禅宗様の先駆的建築として注目される。
<鐘楼の細部>
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<法華堂>
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法華堂
  この堂は東大寺の創建より早い天平十二~十九年(七四○ ~四七)頃の創建と言われ、転害門や正倉院と同じく、南都焼討をまぬがれた奈良時代の貴重な建築である。
 本尊は不空絹索観音であることから、東大寺の前身といわれる金鐘寺時代には絹索堂と呼ばれていたが、毎年三月に法華会が行われたので三月堂と呼ばれるようになった。また、外観は一棟に見えるが、内部は後方の正堂部分と前方の礼堂の二つの部分から成っており、奈良時代には、別棟の双堂であった。
 現在の礼堂部分は鎌倉時代正治二年(一二○ ○ )に重源上人によって新造された建築で、その
後の修理で正堂とひとつづきの建物になった。
 側面から見ると軒をつなげた部分がよく分かる。また天平時代と鎌倉時代の建築を同時に見ることが出来るので、様式の違いを学ぶのに絶好の教材となった。
 肘木の笹繰の有無や間斗東の太さと長さのバランス、連子窓の高さや組子の太さと間隔、大瓶束の有無、亀腹の有無、長押構造と貫構造などが外観の印象にかなりの影響を与えることが分かった。
<法華堂>
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つぎに三月堂形石燈龍 を見学した。法華堂正面に一基献燈形式で立つ、古式大和形式の名品である。
<三月堂形石燈籠>
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 三月堂とは、法華堂の別名である。竿には建長六年(一二五四)伊行末が奉献した旨が刻まれている。基礎は自然石から円形に八葉の反花を彫りだしており古式である。
 竿は細長く三節で、美しいエンタシスを持ち締まりがある。六角形の中台には側面が現れ、蓮台式との節目にあたる時期の作と考えられる。火袋は大きく、連子が彫ってあり古式である。笠は、軒反りが美しく、当時としては斬新な蕨手も力強さを偲ばせる。欠けや風化が多く痛々 しささえ感じるが、まだまだ凛として役目を果たしている。
<三月堂形石燈籠>
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2007年05月17日

法隆寺

<法隆寺全景>
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法隆寺 法隆寺西院の金堂・五重塔・中門・回廊等は、8 世紀以前に建てられ、飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築である。その創建の由来は金堂の東の間に安置されている薬師如来像の光背銘や法隆寺伽藍縁起井流記資財帳(747)の縁記文によって知ることが出来る。それによると、薬師如来像は、元来用明天皇が発願されたが果たさずに崩御されたという。その遺命によって推古天皇と聖徳太子が推古15年(607)に寺と薬師如来を造られたのが法隆寺であると伝えられる。
 現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられている。境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の優れた木造建築が軒をつらね、日本と東アジアの木造の仏教寺院の歴史を物語る貴重な文化遺産、宗教的遺産が集約されている。
 これらの歴史的建造物は、六世紀以前の中国の建造物と共通する様式をもち、日本に仏教が伝来した六世紀中頃から今日に至る1300年間にわたって、各時代の寺院建築の発展に影響を与えつづけ、日本文化を理解する上でも貴重な遺産である。
<南大門>
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南大門 法隆寺の総門で八脚門である。創建時のものは、永享7年に焼失したため、永享10 年に再建された。室町時代の和様建築を代表する見事な建造物である。
 組み物に装飾的な花肘木が用いられ、その上に供が二つ乗る双斗が見られる。双斗は後漢(2~3世紀)から醜・晋(4世紀)までの古い様式を伝えるものである。また、装飾的な木鼻が見られ、大仏様の残存と禅宗様への変化が見られる。禅宗様木鼻の一種は拳鼻と呼ばれ、大仏様に比べ出が少なく丸まっており、側面に絵様が施される。
<中門>>
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中門 重層建築であり、四間三面という柱間構成は他に類例を見ない。一般に門の正面の柱間は奇数であるが、ここでは四間になっている。中央の二間を広くとり安定感を出していることがわかる。エンタシスのある飛鳥様式の柱も立派である。また奥行きが三間あるので、側面から見ても安定感があり、回廊の組み込み方も収まりがよく大変優れている。古式伽藍の姿を伝える唯一の中門である。
<中門と回廊>
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 7世紀には金堂と塔を近接して建て、そのまわりを回廊で囲み聖域として区切ったので、南門より中門の方が重んぜられている。中門の左右の間には日本最古の阿吽の金剛力士像が安置され、伽藍を守護している。
<回廊内部>
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回廊 特に高さのある連子窓が美しい。連子子の間隔が広くゆったりとした雰囲気を持っている。また美しい反りを持った虹梁の上には叉首を組み棟木を受けている。虹梁に反りを持たせるのは中央が垂れ下がって見えるのを矯正するためであるという。
<金堂>
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金堂 飛鳥様式をよく残した世界最古の木造建築で、本尊は聖徳太子のために造られた止利仏師作の金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)である。
その左右には、太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来坐像(飛鳥時代)、母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)がある。
 それを守護するように、樟で造られた日本最古の四天王像(白鳳時代)が見事に彫られた邪鬼の背に立つ。その他、木造吉祥天立像、毘沙門天像(平安時代)等、上代彫刻の粋が集められている。
 強い胴張りを持った10本の丸柱で囲む空間を西域色豊かな天蓋で包み込み、それを多彩な壁画や装飾で彩り、荘厳な仏世界が表現されている。また、飛鳥時代そのままの一木で造られた扉があり、その厚みと大きさには驚嘆した。
 外観は高さのある重層建築で入母屋造、雄大な軒反りの美しさには圧倒される。下層の裳階は、奈良時代に付け加えられたと考えられ、上層の四隅にある龍の彫り物が巻き付いた支柱も後補である。大きくせり出した軒を支えるためのものだが全体の美観を落としている。
大斗の下の皿斗や、大斗の上の雲形の雲斗雲肘木、勾欄の人字形割東や肥崩しの装飾は飛鳥建築(古式和様建築)の特徴である。基壇は、下に30㎝ 程の地覆を付けた二重基壇で、東が無く、羽目石だけを並べた古い形式である。石材は凝灰岩とされる。
<金堂>
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<五重塔>
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五重塔 日本最古の五重塔で、基壇上からの高さは31.5m あり、金堂のほぼ倍の高さがある。最下層の内陣には奈良時代に造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥靭菩薩の説法、が表現されている。
逓減率(※ 上に行くほど一辺が減少していく比率)が大きいのが古式塔の特徴だが、下重では方三間、徐々 に組み物間が狭められ、最上重では方二間になっている。
 軒の出は深く、屋根の勾配は緩やかで安定感があり、均整がとれた塔である。しかしこの塔の下層にも、金堂と同じく奈良時代に付加された裳階があり、その分力強さが失われているのは少々 残念である。
<西円堂形石燈籠>
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西円堂形石燈龍
大和形式古式石燈龍の代表作として名高い。花尚岩製、高さ約2・38m 、無銘。かつて西円堂前にあったため、西円堂形の本歌として知られるが、現在は五重塔の西側近く移されている。
 基礎は六角型の切石で、自然石の基礎に反花を刻む三月堂型と比べ新形式といえるが、中台は蓮台式でより古式の様式を持っている。竿は太めで三節の古式。笠は厚みがあり、古式の真反りを持つ。蕨手も良く残っていて力強い。
<燈籠の基礎から中台>
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夢殿 東院は、聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平一一年(七三九)に建てた廟所である。八角円堂は興福寺北円堂のように追善供養の目的で建てられることが多い。太子が上宮聖徳法皇とも尊称されることから、上宮王院とも言われる。夢殿はこの東院伽藍の中心に建つ。
 内部中央の厨子には、聖徳太子等身と伝えられる秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、その周囲に聖観音菩薩像(平安時代)、東院の創立者行信僧都と再興の功労者道詮律師の影像などを安置する。
 外観は、奈良時代そのままのものではなく、鎌倉時代に上部に改造が加えられている。(※ この夢殿の推定復元図が、小学館発行『 原色日本の美術』 「法隆寺」に掲載されているので参照をお勧めする)創建時の夢殿は三斗で、軒の出も浅く、比較的簡素な意匠の建物であった。改造によって組物を一段増し垂木を長くしたので、現在のように軒の深い堂々 とした姿になった。
 屋根上の露盤は、光を放射しているような造形で、モダンな感じさえする美しいものである。
<夢殿>
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