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2007年04月 アーカイブ

2007年04月06日

東京の庭園 旧岩崎邸庭園

旧岩崎邸庭園は、明治29年、ジョサイア・コンドルの設計によって完成した洋館と和館が併置されており、あまりの豪華さに圧倒されてしまう。
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丁寧に積まれた石垣を見つけました。
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この玉石の石垣は、モルタルを使わず、石を加工することによって隙間を無くし、強度を上げています。手間はかかりますが、町でよく見かけるモルタルだらけの玉石の石垣とは比べものになりません。


和室の縁先には大きな棗形手水鉢が据えてあります。
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岩崎家では石造品に関しては、大きなものを好まれたようで、バランス感覚よりも豪快さが目立ちます。

2007年04月17日

東京の庭園 靖国神社神池庭園

東京都九段にある靖国神社内苑には、素晴らしい造形の池泉庭園が保存されています。参拝したけれど神池庭園は見たことがないと言う方が多いので紹介させて頂きます。

<サクラが開花した池泉庭園>
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神社の森に囲まれて静かに佇む神池庭園は、都会の喧騒を忘れさせてくれるようです。回遊できるので、様々な角度から鑑賞することができます。

<力強い滝岩組>
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長い伝統を持つ日本庭園の歴史の中で、岩組は、最も永遠性がある造形で、古庭園からもその造形美や作者の精神性を感じることができます。 江戸時代中期以降、日本庭園が定型化し、退化してしまったと言われる中、明治15年に完成した靖国神社の滝岩組は、古庭園に勝るとも劣らない力強さと造形美を誇ると評価されています。

<舟形石と岩島のむこうに茶亭を望む>
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舟形石や岩島が大変効果的な空間構成の役割を果たしています。岩島は1999年の修復工事の際に、日本庭園研究会会長の吉河 功先生の監督のもと組まれたものです。また、奥に見える切石橋は、全国でも屈指の長さがあり、大変見事です。

この庭園が将来にわたって美しく保存できるよう精進していきたいと思っています。

2007年04月28日

酬恩庵(一休寺)  京都府京田辺市薪里ノ内102

かつての名は妙勝寺であり、鎌倉時代、臨済宗の高僧大応国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後この地に禅の道場を建てたのが始めである。その後、元弘の戦火にかかり焼失、荒廃していたものを、室町時代の康正二年(一四五六)に名僧一休禅師が宗祖の遺風を慕って再興し、師の恩にむくいる意味で酬恩庵と命名した。

ここでは、まず本堂を見学した。堂は、永享年間(一四二九~ 四○ )、室町幕府六代将軍、足利義教の帰依により建立された。入母屋造り槽皮葺で、内部には釈迦如来、文珠菩薩、普賢菩薩を祀り、山城、大和の禅宗様建築では最も古いとされる。禅宗様建築の典型的な構造で、詰組の組物、一扇垂木の配された反りの強い軒、粽柱、木鼻、火頭窓、桟唐戸等が見られる。内部構造には蝦虹梁も使われていて、多彩な装飾が見られる。

次ぎに方丈庭園 を見学した。一休没後、信長の寺領没収によって衰退、荒廃していたものを加賀藩主前田利常が慶安三年(一六五○ )に再興に着手し、この時に方丈庭も築造されたという。前田利常は、東京大学にある育徳園を造営した人物でもある。方丈庭園の作者は、松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の合作ともいわれるが、松花堂昭乗は寛永十六年(一六三九)に亡くなっているので信用を欠くところがある。
方丈南庭は白砂敷きで、伝統的な手法が用いられている。南庭の背景には虎丘庵と寿塔の慈揚塔を望むことが出来る。照り起りの槽皮葺の屋根と軒反りの強い瓦葺きの屋根が対照的である。

東庭は、土塀との間の細長い敷地に石組がある。細長い敷地がよく生かされており、石の据え方、配置から洗練された感覚を感じる。また、この庭は、大徳寺本坊庭と同じで十六羅漢の石組とも呼ばれているそうだ。
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北庭が主庭で、枯滝、中島、三重の塔燈籠等で構成されている。枯滝石組の構成や石の立て方が大徳寺大仙院とよく似ていると感じたが、やはり作庭の参考にしたのであろうか。中島の立石、枯滝石組はとても力強く、小規模ながら大変な名園であると思う。
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2007年04月30日

般若寺 (奈良市般若寺町221) 

 この寺は飛鳥時代に高句麗僧慧灌法師によって開かれた。その後、聖武天皇の時、平城京の鬼門鎮護のために堂塔を造営されたと伝えられる。
 京都から奈良への要路に当たるため、源平の争乱に際し、平重衡の南都焼討にあい焼失したが、西大寺叡尊上人により、文殊菩薩の霊場として復興され、庶民救済の文殊会を盛んに開くようになった。
十三重石塔 
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  十三重石塔は、高さ十四・二m と巨大で、日本で二番目に大きい作である。一番大きいのは、宇治川浮島の十三重の塔で、叡尊上人の発願により、般若寺より三十年ほど後に造られた。般若寺にある十三重塔の作者は、南宋国明州(漸江省寧波)の石工伊行末で、建長五年(一二五三)の造立。第一重を大きく造るのは中国式だとゆうことだが、高さの割りに安定感があるのはそのせいだろうか。各重には控えめだが軒反りがあり、天に向かってそびえ立つ感じを演出していると思う。第一、四、七、十層に経巻や金銅仏が納入されていたという。塔身の四方仏も繊細に線刻してあり美しく、よく保存されている。
地面に降ろされた相輪部分 
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  相輪は落下、倒壊を避けるため、本物が地面に下ろしてある。現在上部に乗せられている相輪はセメント製の模作で、色が違っている。そのおかげで本物の相輪を間近に見ることが出来た。九輪では、間の擦と呼ばれる部分が広く、しっかりと彫ってあるほど古式という傾向があるそうだ。
椿山荘にある般若寺形石燈籠の本歌  
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   つぎに石燈龍を見た。日本庭園研究会の例会でも何度か取り上げられ、現在般若寺にある石燈籠は、般若寺形石燈龍の模刻品であることは周知のことである。
  火袋の彫刻や格狭間が、東京都目白の椿山荘にある本歌燈龍とどれ程違うのか、拓本を使って比較しながら説明を受けた。確かに本歌の方が断然美しい。模刻品は、相対的に太ったイメージになることが多いそうである。
本歌燈籠の火袋彫刻 
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笠塔婆  
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  つぎに笠塔婆 を見学した。伊行末の子息行吉が亡き父の供養と、母の息災延命を願って建立したものである。南北に並ペて二基立てられており、弘長元年(一二六一)の作で、高さ四・八m もあり、巨大である。笠の軒反りが真反りで美しく、鎌倉中期以前の様式である。また、北塔に阿弥陀三尊、南塔には釈迦三尊の梵字が彫ってあるが、とても力強い字彫りである。何度か倒れたらしく、補修してあるが、その立ち様は行吉の願の大きさを示すように思える。


楼門  
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 つぎに国宝に指定されている楼門を見学した。二重門の下重の屋根に代えて廻縁をめぐらすのが楼門の特徴であるが、現存最古の楼門として知られる。下層は中央の柱を省いて桁行一間とし、上層は桁行三間となっている。
 全体に横幅に対して高さをより強調していて、軒反りも大変美しく立派な門である。下層上部梁にある板蟇股等、和様の細部をよく示しているが、木鼻にはこの地方の特色である大仏様の影響が見られる。


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