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浄瑠璃寺研修



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岩船寺と同じく、京都府相楽郡加茂町にある真言律宗の寺である。静かな山里の中にあり、のんびりとした時間の流れは訪れる人をほっとさせるだろう。
浄瑠璃寺の沿革は,寺に蔵される「浄瑠璃寺流記事」観応元年(1350)に記されている。永承2年(一〇四七)、現在三重塔に安置される薬師如来像を本尊として創建された。浄瑠璃寺という寺号は薬師如来の仏国土、東方浄瑠璃世界に因んだものである。現在の本尊は九体の阿弥陀如来像であり、江戸時代頃より九体寺とも呼ばれるようになった。
庭園 久安三年(一一四七)摂政藤原忠通の第一子伊豆僧正恵信が興福寺一条院より入寺してきたことで、浄瑠璃寺の寺盛は大変盛んになった。興福寺権別当であった恵信は、別当職就任をめぐって、前右大臣藤原宗忠の子である覚晴に先を越されて敗れた事を不満として、浄瑠璃寺の延観上人のもとへ隠棲したのである。恵心はまず寺域の境界を定め、久安六年(一一五〇)池を掘り石を立てたという。恵信の祖父藤原忠実は、作庭記を伝承した一人であり、恵信も作庭に長けていたのではないかといわれる。そして保元二年(一一五七)九体阿弥陀堂を現在のように池の西岸に移築した。その後治承二年(一一七八)三重塔が京都の一条大宮から移建された。これをもって現在の伽藍の中心である九体阿弥陀堂と池と三重塔が、池を中心に東の薬師如来、西の阿弥陀如来という浄土の世界をを具現化した美しい構成となった。現存する浄土式庭園の中でも、唯一建築とともに保存されている貴重な文化財である。
また、庭に関しては元久二年(一二〇五)、京都から少納言法眼という人がきて、楼門内池辺に石を立てたという記録が浄瑠璃寺流記に残っている。
池は、東岸に州浜形式の出島、岩島の有る中島を中心に構成され、地割が美しい。岩組は少ないが、岩島は対岸との遠近感を強調していて効果的である。
石燈籠 九体阿弥陀堂前と三重塔前に一基ずつ、一基献灯形式で据えられている。阿弥陀堂前の作は同時代の作だがひょろ長くてバランスが悪い。三重塔前の方が名品である。花崗岩製、高さ二.一五m、南北朝時代貞治五年(一三六六)の銘有り。典型的な大和様式の六角形石燈籠だが、鎌倉時代の作と比べて装飾的になってきている。基礎の竿受座には蓮実彫刻、子房請花を有し、中台上部には反花を刻んでいる。また、火袋の彫刻も、一茎蓮上に円窓を刻む等大変凝っている。全体的なバランスも優れていて、大和様式の進化を示す貴重な遺品である。
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石臼
本堂前の池側に置かれている。南北朝時代の永仁四年(一二九六)の作で一二面という珍しい平面を示す。基礎の部分と上部が一石造で、側面に銘文が刻まれていると聞いたが、基礎の部分は埋まっており、穴の部分には水が溜まり水生植物が入れてあった。側面もかなり風化している。
最後に九体阿弥陀仏をゆっくりと干渉して寺を後にした。

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