
この遺跡は奈良県明日香村岡にある、いくつかの石造物からなる遺跡である。以前から知られている酒船石に加えて、平成四年に酒船石の北側の斜面で石垣が発掘され、平成一二年には亀形石造物と小判形石造物が発掘されている。
酒船石は、竹やぶに囲まれた急な斜面を登った丘の上にある。花崗岩の巨石を使用して上面には皿状のくぼみとそれらをつなぐ溝が彫られている。後世に南と北の部分が割りとられているが、長さ約五・五m幅約二・三m厚さ約一mもある。用途については、酒、油、薬をつくる道具とする説、天文観測説、祭祀、呪術に関係するものとする説、庭園に水を引いたとする説等諸説あり特定されていない。

亀形、小判形石造物は大変精巧に造られており、当時の石工の技術としては卓越している。朝鮮半島の渡来系石工の存在が考えられるが、吉河会長も韓国の慶州にある雁鴨池に亀形のよく似た石造物が存在することをを指摘しておられる。九月後半には韓国研修会が予定されているので、実物を見て考察を加えたい。
この遺構が何のために造られたものであるかについては諸説ある。猪熊兼勝・京都橘女子大教授(考古学)は、遺構が東西の山に挟まれた谷に広がり、閉鎖された空間に立地していることに注目して、「単なる庭園ではなく、水にかかわる祭祀施設ではないか」と解釈している。一方和田萃 ・京都教育大教授(古代史)は、「遺構は、日本書紀の斉明記にある『宮の東の山に累(かさ)ねて垣とす』に相当する石垣が見つかっている山の尾根に位置することから、山の上にある酒船石も含めた一連の苑池施設だったのではないか」また、「いくつかある斉名天皇の時代の苑池庭園の中でも、外国使節など特別な身分の人を迎える天皇の個人的な儀礼の場だったのではないか』と述べている。発掘担当の西村慎治技師・明日香村教委も、『明日香村には須弥山石や石人像がある石神遺跡や、昨年(平成十一年)見つかった飛鳥京跡苑池遺構がある。これらが公的な空間だったのとは対照的に、今回の遺構は閉ざされた空間。使い分けて利用したのだろう』と庭園説を述べている。
これらの遺構が庭園だったとすれば、初期の日本庭園として貴重である。今後の研究の進展を期待したい。
